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お酒に気をつける

歌手や司会者などとして幅広く活躍してきたやしきたかじん=本名・家鋪隆仁=さん(64)が、闘病の末に亡くなった。多くのファンを魅了する甘い歌声と、それとは裏腹に、歯に衣着せない本音のトーク…。やしきさんの姿は、粋で輝かしい「関西ダンディズム」そのものだった。

■歌えば甘く、しゃべれば辛く

 公式ウェブサイトなどによると、やしきさんは昭和51年、シングル「ゆめいらんかね」とアルバム「TAKAJIN」で本格デビュー。同年、FM東京が選ぶ最優秀新人賞のベスト5に選ばれた。

 こわもての風貌とは対照的に、女性の心情を切々と歌うスタイルで、多くのファンを引きつけた。特に昭和60年前後からは、シングル「あんた」(昭和59年)や「やっぱ好きやねん」(同61年)、「ICHIZU」(同62年)、「なめとんか」(平成2年)、「東京」(同5年)などの楽曲を次々と発表。今も中年男性らを中心に、カラオケなどで歌い継がれている。

 一方、ラジオやテレビなどでも軽妙なトークが人気を呼び、長年にわたって活躍。特にテレビでは、昭和63年10月にスタートした朝日放送系の情報番組「晴れ時々たかじん」を皮切りに、平成4年10月に始まった読売テレビ系のトーク番組「たかじんnoばぁ~」、最近も同局系の「たかじんのそこまで言って委員会」、関西テレビ系「たかじん胸いっぱい」など、司会を務める番組が軒並み当たり「関西の視聴率男」の異名を取るようになった。

■北新地での“武勇伝”数知れず

 一度は東京へ進出しながら挫折した経緯などから、「東京の番組には二度と出ない」と豪語。自身の出演番組は東京へネットさせない徹底ぶりで、東京への対抗意識をあからさまにする「大阪人」のキャラクターは際立っていた。

 一方で、民間団体「OSAKAあかるクラブ」の理事長として大阪復権へ向けた草の根活動にも尽力。橋下徹大阪市長の相談相手としても知られ、平成19年、橋下氏の大阪府知事選出馬に際しては「今しかない。行け」と背中を押した。

 私生活ではワイン好きで「3回生まれ変わるぐらい遊びました」。闘病前は大阪・北新地などへ連日繰り出し、豪快さを示すエピソードにも事欠かなかった。

 平成24年1月末、食道がんのため休養を発表。昨年3月には芸能活動を再開したが、体調を崩して5月から再び休養。その後復帰を目指して闘病を続け、秋には療養を支えた女性と自身3度目の結婚をしたが、願いはかなわなかった。

by kenzaburou41 | 2014-01-08 07:25 | 食道癌にかかった芸能人 | Comments(0)
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