「北酒場」「石狩挽歌」など数多くのヒット曲を手掛けた日本歌謡界を代表する作詞家で直木賞作家のなかにし礼(なかにし・れい、本名中西禮三=なかにし・れいぞう)さんが24日、東京都内の病院で死去した。82歳。死因は明らかにされていないが、1カ月ほど前に持病の心疾患で入院していた。10月に作曲家の筒美京平さん(享年80)が他界したことに続く、衝撃的な悲報。日本の音楽界はまた一人、大きな星を失った。 数々のヒット曲を作詞した昭和を代表するヒットメーカーで、映画やオペラの製作でも活躍。時の政権を厳しく批判する辛口のテレビコメンテーターとしても、お茶の間に愛された人だった。
関係者によると、1カ月ほど前に持病の心臓病が悪化。都内の病院に入院していた。 波瀾(はらん)万丈のなかにしさんの人生で、この10年は病気との闘い。
2012年に食道がんを克服し、3年後に再発するも、それも克服。心臓病は92年からの持病で、16年に除細動器とペースメーカーを埋め込み、劇的に改善していただけに周囲のショックは大きい。68年の黛ジュン「天使の誘惑」、70年菅原洋一「今日でお別れ」、82年細川たかし「北酒場」で日本レコード大賞を3度受賞。00年には「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞。翌年、満州からの引き揚げ体験を描いた「赤い月」は100万部近いベストセラーとなり、戯曲を含めた旺盛な執筆活動とマルチな活躍からスーパー作詞家と呼ばれた。
食道癌との戦い、ご苦労様でした。
合掌。