健康に気を使う政宗だったが、1634年頃から食欲不振や嚥下に難を抱えるといった体調不良を訴え始めていた。1636年4月18日、母の菩提寺保春院に詣でたのち、昼すぎから北山・経ヶ峯・茂ヶ崎山など城下をめぐる山々を巡歴した。経ヶ峯では、しばらくたたずみ、かたわらに控える奥山常良に向かって、死後はこの辺に葬られたいものだと杖を立てて指示をした。2日後の4月20日に参勤交代に出発した政宗は急に病状を悪化させ、宿泊した郡山では嚥下困難に嘔吐が伴い何も食べられなくなっていた。4月28日に江戸に入った頃には絶食状態が続いたうえ、腹に腫れが生じていた。病を押して参府した政宗に家光は、5月21日に伊達家上屋敷に赴き政宗を見舞った。政宗は行水して身を整え、家光を迎えた。しかしお目見え後に奥へ戻る時には杖を頼りに何度も休みながら進まざるをえなかった。
5月24日卯の刻(午前6時)死去。享年70(満68歳没)。死因は食道噴門癌による癌性腹膜炎であるとされている。「伊達男」の名にふさわしく、臨終の際、妻子にも死に顔を見せない心意気であったという。
伊達政宗公
↑2年前から食欲低下し、その後嚥下困難、嘔吐、体重減少、、
この時代に内視鏡検査、治療が普及していれば、、、
ぽちっとな
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